第10話「次なる標的」
アルサルとエミリアがルディロスの管理局本部に帰還すると、既に大勢の学者や研究者達が本部に訪れていた。すすり泣く者。何やら怒鳴り声を上げる者。管理局を訪れた者達は、その知らせにそれぞれ様々な反応を示していた。その異常な光景が、その知らせの意味を物語っている。
「どいて。通してくれ!」
混雑する管理局のロビーをくぐり抜け、アルサルとエミリアはティアに指示された場所へと急いだ。ロビーの階段を上り、本館へと続く渡り廊下を進む。本館に入ると階段を下り、そのまま地下へと向かう。地下フロアの一番奥の部屋の前では、ティアが二人の到着を待っていた。
「ティア」
部屋の前に辿り着いたアルサルがティアに声をかける。ティアはアルサルの方を見ず、下を向いたまま黙って扉を指差した。
「…………」
アルサルがドアノブに手をかけ、ゆっくりと扉を開く。冷たい地下室の中には、ベッドが一台あるのみ。その上に、変わり果てた姿となったイブリースが横たわっていた。
「イブリース……」
アルサルがゆっくりとベッドに近づいていく。呼びかけても、返答はない。
「イブリースさん……」
無駄だとわかっていても、思わず呼びかけてしまう。エミリアの声は、既に力なく震えていた。
アルサルがイブリースの左手を取る。地下室の空気と同じように、その手からはひやりとした冷たさが伝わってきた。
「イブリース……!」
アルサルがもう一度、イブリースに呼びかける。握り締めた拳が、怒りか悲しみかわからない感情に、強く震えた。
アルサルが初めてイブリースと出会ったのは、ALT最終試験の時だった。その時の最終試験に残っていたのは、第一次試験受験者約400名のうち、わずか5名。その中で最年少だったのが、当時、ALT最年少記録を更新したアルサルであり、その次に若かったのがイブリースだった。
あの時のことを、今でもアルサルはよく覚えている。試験直前の控え室。受験者達が互いを意識して沈黙を保つ中、イブリースはアルサルのところへやって来た。そして、アルサルの年齢を聞いたイブリースは、「もし、君が合格すればALTの最年少記録を更新する。君と同期になる事が出来れば、とても名誉なことだ」と言った。受験者最年少で、周りの受験者から常に舐められていたアルサルにとって、この言葉は予想外であると共に、素直に嬉しかった。受験者の中でも、アルサルのことを認めてくれる人がいることが、とても心強かった。そして結局、この最終試験に合格したのは、アルサルとイブリースだけだった。
「部下達と共に遺跡の調査に来ていたところを狙われたらしい」
いつの間にかアルサル達の背後にやって来ていたティアがそう告げた。
「その部下達は?」
「5人とも死んでいた。ズタズタにされてな。抵抗する間も与えなかったのだろう。イブリースは抵抗したらしく、戦闘の跡があったらしい。だが……」
そう言って、ティアが目を伏せる。
狭い遺跡の中では、逃げ道もなかったのだろう。タライムが手も足も出ない相手に、一対一で勝ち目があるはずもない。
「先生!!」
その時、部屋の外から大きな声が響いた。聞き覚えのある声だ。
「来てしまったか……」
ティアが辛そうにぽつりと呟く。やがて、二人の少女が地下室の中に飛び込んできた。
「レイン、ステラ……」
二人の姿を見たアルサルが小さく声を漏らす。アルサルは無意識のうちに、イブリースの姿を隠すように二人とベッドの間に身体を入れていた。
「どいて……」
レインがアルサルに向かって言う。有無を言わせぬようなレインの口調に気圧されながらも、アルサルはその場を動くのをためらった。
「待つんだ。レイン、ステラ。一度落ち着いて……」
「どいてよ!!」
耐え切れなくなったレインとステラが、アルサルを無理やり押しのけようとする。アルサルもそれ以上強くは言えず、仕方なく横に身体をよけた。
「先生……」
レインがベッドの横に膝をついてイブリースに呼びかける。だが、イブリースは相変わらず目を閉じたまま、何の反応も返さなかった。
「先生、返事してよ!」
「目を開けて、先生!」
二人が口々にイブリースに呼びかける。ティアは二人を横目で見ながら、ゆっくりと地下室を去っていった。
「先生……私、一生懸命勉強したのに……最近は、ステラと二人で調査を任せられたりして、ようやく一人前になったのに……もうすぐ先生と一緒に仕事が出来ると思ったのに……どうして!? どうして……!」
「レイン……!」
イブリースのベッドの横で、二人は抱き合ってうずくまりながら、地下フロア全てに響き渡るほどの泣き声を上げた。
「レイン、ステラ……」
何か声をかけなければと思い、アルサルが二人に近づこうとする。だが、その腕をエミリアが掴んだ。
「エミィ……」
アルサルがエミリアの方に振り向く。エミリアは下を向いたまま、静かに首を横に振った。ぽたり、ぽたりと、その足元に涙が零れ落ちる。
「……わかった、行こう」
エミリアの肩を抱き、アルサルは足音をたてぬよう、ゆっくりと部屋を出た。そして、二人とイブリースの別れを誰にも邪魔されぬよう、静かに扉を閉めると、地下フロアを後にしていった。
イブリースとの別れを終え、アルサルとエミリア、そしてダンとユリは、ティアのいる管理局長室へと集められた。
「イブリースのことは残念だ。だが、敵は落ち込んでいる暇を与えてはくれないだろう。これ以上、犠牲者が増える前に、早急に手を打つ必要がある」
ティアがそう言って周囲を見渡す。全員がその言葉に頷き返した。
「アル、エミリア、君達にはこれからジュウに向かってもらおうと思う」
「ジュウに?」
ティアの言葉に、アルサルは首を傾げた。
「何故、ジュウなんだ?」
「次の標的と思われる人物と、そこで合流する手はずになっている」
その答えに、アルサルとエミリアは思わず顔を見合わせた。
「要素が何か、わかったのか?」
アルサル達の会話を聞いていたダンが口を挟む。ティアはダンに向かって頷いて答えた。
「要素? 何の話?」
ダンとティアの会話の意図がつかめず、エミリアが尋ねる。ティアはリストについてダンと交わした会話の内容を、改めてアルサルとエミリアに説明した。
「それで、その要素っていうのは?」
話を聞き終えたアルサルが尋ねる。
「恐らく、情報と知識だ」
「情報と知識?」
「ああ。タライムは世界中を回っていて、その上、行商人だ。職業柄、様々な情報が耳に入ってくる。イブリースは権威のある考古学者だ。情報や知識は言うまでもない。この二人に共通しているのは、その点くらいだろう」
アルサルとエミリアが腕を組み、二人について考える。性格、職業、戦闘法、あらゆる面で正反対だ。確かに、共通点はそのくらいしか思いつかなかった。
「なるほど。それで、次の標的の予測は?」
「恐らくソロンではないかと思う。彼は一年ほど前からコルム大陸を放浪しているし、「飛龍」に所属していた時も各地を訪れていた。情報や知識で言えば、彼が次点ということになる」
ギルド「飛龍」のマスターを後任に譲り渡した後、アイスクルはサマナー育成のための講師に、ルーファは医者になるための勉学に励んだが、ソロンはコルム大陸各地を放浪する旅に出たと聞いていた。そのため、旅に出てからは一度も会っていない。
「どうやって連絡を取ったんです?」
「ルーファを通じてな。情報部は今は危険だ。調査が終わるまで、余計な情報は与えない方が良いだろう」
ティアはそう言うと、封筒に入った分厚い資料をアルサルに手渡した。
「詳細はこれに書いてある。誰にも見られないよう、厳重に保管してくれ」
「了解した」
アルサルが書類を受け取る。右手にかかるずっしりとした重さが、アルサル達にかかる重圧と、後ほどこの書類全てに目を通さなければならない気だるさを実感させた。
「では、ジュウまで向かうための馬車などを用意させておく。出発は……」
「待て」
その時、ティアの言葉を遮って、ダンが椅子から立ち上がった。
「俺も行く」
「え?」
ダンの思わぬ言葉に、エミリアは小さく聞き返した。
「だって、あなたは……」
「俺の記憶など、最早どうでもいい。俺がここに来た目的は、あの真紅の騎士を殺すことだ。お前達についていけば、会える可能性が高いんだろう? だったら、俺も連れて行け」
ダンが有無を言わさぬ強い口調で告げる。アルサルは正面からダンを見つめた。
「今度の敵は、かなりの強敵みたいだ。君を守りながら戦う余裕なんてない。足手まといになるくらいなら、ここでおとなしくしていてもらいたいな」
「……足手まといになるか、試してみるか?」
ダンがアルサルに一層厳しい視線を向ける。だが、アルサルも一歩も引かず、ダンを睨み返した。
「お、おい、二人とも……」
「アル、落ち着いて……」
ティアとエミリアが慌てて仲裁に入ろうとする。しかし、二人に無言で睨み付けられ、最後まで言葉を続ける事が出来なかった。
そして、さらに睨み合いが続くこと数十秒、二人はどちらからともなく、ふー、と長いため息をついた。
「……どうやら、足手まといになることはなさそうだね」
「当然だ」
アルサルがわずかに笑みをこぼす。ダンは変わらずすました顔でそう答えた。
「今は味方が一人でも多い方が心強い。よろしく頼むよ」
そう言って、アルサルがすっと右手を差し出す。
「……ああ」
差し出されたその手を、ダンはぎこちない手つきで握り返した。
第10話 終